スラムの子に教育の機会を

14日の朝刊に「比で1000万円払い腎移植」の記事があった。

一方は貧困から逃れるために。一方は体調を改善し命長らえるために。移植支援などをうたう業者は「必要性のあるビジネス」と言い切った。日本には臓器売買やあっせんを禁止する法律があるが、「フィリピンは臓器売買を合法化する制度を検討中」と記事にある。悲しいと思う。不条理と思う。

199912月、ある新聞の「アジアと人権」のシリーズに日本人に腎臓を売ったフィリピン人が出ている。彼は言う「残ったのは腹部の30センチの傷跡と借金。オレの腎臓で元気になった日本人に援助を求めたい」と。

フィリピンで臓器売買が合法化になると、はびこる貧困の中で、手っ取り早く金を手にする方法として、各途上国でも臓器売買目的の人身売買が増長されはしまいかと心配になる。私が幼稚園を作る活動をしているインド、ムンバイのスラム街でも人身売買が横行している。

売りたい人、買いたい人、双方の社会を変えるにはまだ時間がかかるだろうか。人権が確立していない社会は悲しいと思うが、貧困の解消には教育がある。子ども達が臓器売買目的の人身売買の標的にならないためにも、スラム街の子ども達に教育の機会を与え続けたいと思った。

 

投稿文が 熊日新聞7月26日の朝刊に載りました。

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