天草からつなぐ明日

天草からつなぐ明日「宿命」背負い生きる
 夕暮れまでまだ時間があるというのに、女たちは通りで客待ちを始めていた。その前を子ども達が追い駆けっこしながら走り抜けていく。近くでは用心棒とおぼしき数人の男たちが、赤茶色の紙タバコのかすを路上に吐き出し、通りに目を走らせる。その合間を縫って、ある建物に入った。

 中央が極端にすり減った石造りの急な階段を上る。太陽の光が入らない真っ黒な建物は、ウナギの寝床のように奥が長い。廊下の脇に八つのベットが詰め込まれた10畳ほどの部屋があった。
 母親が客を連れ帰ると、その幼子たちは、高さ90センチほどのベットの下に潜り込むという。その上で母親が「仕事」を終えるまで。

 約1300万人が暮らすムンバイ(旧ボンベイ)。インド隋一の商業都市で、売春人口は100万人ともいわれる。カマティプラ地区の長さ1キロほどのフォークランド通りには、千軒の売春宿がひしめく。売春婦は約5000人。地元の人によると、英国統治時代の19世紀から続く古い売春街らしい。
 売春婦の自立を支援する現地NGO(非政府組織)代表、スダールシャン・ロヤルカさん(61)によると、彼女達の多くはネパールや国内の貧しい農村部な度から「いい仕事がある」などとだまされて連れてこられる。誘拐されたり、親に売られることも。そして「仕事」に慣れるまでは、奥の部屋に監禁されるという。

 「肌色が薄い美人は5万ルピー(約10万円)、色黒の女はその5~10分の1程度で売買される。14歳、15歳が特に高い」とロヤルカさん。「9歳の売春婦もいる」とも。日本なら小学、4年生だ。
 女たちは1回40~250ルピー(80円~500円)で体を売る。売春宿の主人は、費用を回収するまで一切、給金を払わない。「借金」を完済しても売上げの半分は主人のものだという。

 彼女たちは売春宿で子を産み、育てる。ただ、ここの稼ぎではこどもを学校に行かせる余裕はない。「ここで育った女は売春婦、男は麻薬の売人や宿の用心棒になるだけ。金にまみれた警察は売春宿の味方。少女たちを救おうともしない」とロヤルカさんは静かに語る。
 そんなフォークランド通り近くに、天草市のNPO法人が2004年6月、幼稚園を作った。理事長の大久保美喜子さん(55)は「この状況を見て見ぬふりできなかったの」。日が落ち、オレンジ色の怪しい光に照らされた通りに、相変わらず子どもたちのにぎやかな声が響いていた。

熊日、原さんの記事を写したものです!

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