鬼のかく乱

風邪かな?  ちょっとだけ、のどが痛いかな・・・・

25日の夕刊で、「きょうの発言」終了しました。  支えてくださった方、読んでくださった方々・・・ありがとうございました。

 「からゆきさん」の足跡をたどって訪れた場所は、アメリカ、中国、シンガポール、インド、モーリシャス、マダガスカル、南アフリカ、そしてサンダカン(マレーシア)ザンジバル島(タンザニア)などです。
父が遺言とした「自分の目で見て、自分の足で歩け」の言葉をいつも心に刻んではいますが、女性史も日本史もまだまだ勉強し足りません。
その多くは、悲しい色彩を帯びていると感じます。売春婦の汚名を着せられたままの「からゆきさん」も名誉復活には至っていません。
そして、「からゆきさん」を知る中で出会ったインドの少女たち。
今なお世界各国で続く人身売買や売買春の問題も解決には程遠いのが現状です。
インドでの活動を支援してくれている友人からメールが来ました。「小学生の時に、『ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために』という標語が教室に掲げられていました。自治・自立とは、そういうことだと思います。「援助」だけでなく、「共感」と「支え」のあるあなた方の活動に感謝します」と。
 NPO法人「インドに幼稚園を作る会」の活動も、始めてから9年目になります。活動を通して、友人も知人も増えました。すべての人との触れ合いをありがたいと思います。皆さんのおかげで、インドの子ども達とつながり続けられることに本当に感謝します。

支援の輪

ありがたいことに、支援の輪が広がっています。

今日、熊本でお会いした方々がいらっしゃいます。暖かなやさしい方々です。末永く、お付き合いができたら・・・・・と思います。

さくら冷えがしますね!皆さん、体調に気をつけてお過ごしください!詳しくは、後日お知らせしたいと思います。

ワクワクの読み聞かせ

わくわく児童館のよみきかせへ行きました。  可愛い子ども達とお母さん方が対象です。みんなキラキラ輝いてまぶしく感じられました。

ふっと、インドのこども達のことが・・・・・、お母さんと一緒に帰る3歳の女の子の事が・・・・・・頭をよぎります。  お母さんが疲れて、幼稚園を出たところの外の植え込み(今はただ土の上)で、横になっていました。目をつぶって休息をしているお母さんに守られるように座っていたあの子の大きな瞳・・・・忘れることが出来ません。 

お母さんは末期のエイズ・・・・。この子に振りかかるであろう哀しみを、何で、この子は耐えなければならないのでしょう・・・・。耐えられない苦しみを何で耐えなければならないでしょう。  

振込み

桜が咲き、モンシロちょうちょが舞い、木々が若葉色に輝いています。     いい季節になりました。  熊日の連載が始まって、いろんな方が「支援を・・・」と言ってくださいます。  ありがたいことです。    今日、今までの 会費やら、絵葉書の売り上げやらを 振込みに行きました。返ってきた通帳を見て驚きました。

若い方のお名前のようでしたが、たくさんの寄付が入っていました。ブログへのコメントを読んで、この方かな?などと思っています・・・・・・。が・・・・。

本当にありがとうございます。 大切に、そして確実にインドの子どもたちのために役立てます。

片付け

片付けられない女ではないはずなのです。・・・・でも、片付きませんね~!まだ、この分だとまだまだ・・・、

「からゆきさん」関係の本! 本棚にはいりきらん~! 読み聞かせの本! 英会話の本! 切り絵の本! それから、お琴の道具!  ・・・・することが多いのか? 英会話は身になってないし・・・・ お琴は練習して行かないし・・・。  切り絵はすることが多いし・・・・。何から手を付けよ~~~!   まずは、優先順位・・・・   インドに幼稚園を作る会の整理・・・・会計・・・・総会に向けて・・・インド関係の書類等も、整理せねば・・・・。

ん~、まずは家業の民宿の、お仕事をがんばらねば・・・・・。

あああ!どっこいしょ

ブログが戻って・・・。

ブログが戻って勇気100倍!  でも、何から手をつけようかな~!

ハノイに出展する作品は、もう既に郵送済みです。けれど、11月の中国に出展する作品が決まりません。  今までの作品から選んでも良いらしいが・・・そうは、したくないのです・・・・。すこし考えよう・・・・。

きょうは、ず~と、部屋の後片付けをしていたのです。片付かないことこの上なし・・・・。おまけに、まめちび猫が、めだかの水槽に入って 泳いどる。 平衡感覚がないのだ。イエイエ単なる 間が抜けて・・・。イエイエ・・・?

大騒ぎとなりました。片付けるのに、全て引っ張り出していたところに、水浸しの猫がぶるぶる、ぶるる・・・・。一面水浸しではないか・・・。明日までかかって、片付けます。    トホホホのホ

新たな支援

新聞に連載が始まって、嬉しいことに 支援を・・・と仰ってくださった方がいらっしゃいます。25日熊本でお会いします。インドの子ども達と共に、ありがとうと・・・つたえたい!

ありがとうございます。宜しくお願いします。

天草からつなぐ明日

天草からつなぐ明日「宿命」背負い生きる
 夕暮れまでまだ時間があるというのに、女たちは通りで客待ちを始めていた。その前を子ども達が追い駆けっこしながら走り抜けていく。近くでは用心棒とおぼしき数人の男たちが、赤茶色の紙タバコのかすを路上に吐き出し、通りに目を走らせる。その合間を縫って、ある建物に入った。

 中央が極端にすり減った石造りの急な階段を上る。太陽の光が入らない真っ黒な建物は、ウナギの寝床のように奥が長い。廊下の脇に八つのベットが詰め込まれた10畳ほどの部屋があった。
 母親が客を連れ帰ると、その幼子たちは、高さ90センチほどのベットの下に潜り込むという。その上で母親が「仕事」を終えるまで。

 約1300万人が暮らすムンバイ(旧ボンベイ)。インド隋一の商業都市で、売春人口は100万人ともいわれる。カマティプラ地区の長さ1キロほどのフォークランド通りには、千軒の売春宿がひしめく。売春婦は約5000人。地元の人によると、英国統治時代の19世紀から続く古い売春街らしい。
 売春婦の自立を支援する現地NGO(非政府組織)代表、スダールシャン・ロヤルカさん(61)によると、彼女達の多くはネパールや国内の貧しい農村部な度から「いい仕事がある」などとだまされて連れてこられる。誘拐されたり、親に売られることも。そして「仕事」に慣れるまでは、奥の部屋に監禁されるという。

 「肌色が薄い美人は5万ルピー(約10万円)、色黒の女はその5~10分の1程度で売買される。14歳、15歳が特に高い」とロヤルカさん。「9歳の売春婦もいる」とも。日本なら小学、4年生だ。
 女たちは1回40~250ルピー(80円~500円)で体を売る。売春宿の主人は、費用を回収するまで一切、給金を払わない。「借金」を完済しても売上げの半分は主人のものだという。

 彼女たちは売春宿で子を産み、育てる。ただ、ここの稼ぎではこどもを学校に行かせる余裕はない。「ここで育った女は売春婦、男は麻薬の売人や宿の用心棒になるだけ。金にまみれた警察は売春宿の味方。少女たちを救おうともしない」とロヤルカさんは静かに語る。
 そんなフォークランド通り近くに、天草市のNPO法人が2004年6月、幼稚園を作った。理事長の大久保美喜子さん(55)は「この状況を見て見ぬふりできなかったの」。日が落ち、オレンジ色の怪しい光に照らされた通りに、相変わらず子どもたちのにぎやかな声が響いていた。

熊日、原さんの記事を写したものです!

きょうの発言

「あんた、自分が売春婦って言われたらどーげん気持ちや」 「からゆきさん」の真実が知りたいと思い、歩き始めたばかりのころ。
天草の小さな集落を訪ねると、玄関で仁王立ちになった近親者の方から、そう言われました。私が「からゆきさん」のことを知りたがっているとわかると「好かん、好かん」と、刺すような視線を投げつけ、張り詰めた空気になったこともあります。 その一方で、90歳は過ぎておられたおじいさんから、こんな話も聞きました。

「夜、満天の星の下、潮騒を枕に子守唄がわりに聞かされた、わしのじいさんの話は海の向こうの話だった」 「この海の向こうにどのような人がいて、自分がどんな活躍をしたか・・・。多少の背びれ尾びれは付いたかも試練が、面白い話だった。そのまたじいさんもそがんだった。そのまたじいさんも・・・

「からゆきさん」を恥として隠そうとする心理も、海外雄飛の血が代々流れ、こから孫へと受け継がれていたという事実も、すべて「からゆきさん」を取り巻く天草の真実だと。女衒と呼ばれた村岡伊平冶さんのお孫さんに会いました。彼にも既にお孫さんがおられました。

時は静かに、けれど確実に、大きな歴史のうねりをのみ込みつつ、流れていると知りました。時は静かに、けれど確実に、大きな歴史のうねりをのみ込みつつ、流れていると知りました。

3月18日の夕刊です

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