なぜ?

あえて、なぜ私がこの文(前ブログ文)を書いたか・・・・・というと!・・・・・・

電話をいただきました。 熊日の  「天草からつなぐ明日」 インド・ムンバイリポートの記事を読んだ・・・と。   そこに、書かれているのは、インドに売られてくる少女たちの売春を強いられる現状と、そこで産まれる子どもたちのことです。・・・・   電話の方は、「自分は男である、と。時として、そういう快楽の場にも出入りする・・・」と話されました。

そして、こう続いて話されました。「・・・そういう子ども達もいるのだな・・・・わずかでもいいかな?寄付をしよう。その子どもたちのために使ってくださいと・・・」

世界に稀な、日本の公娼制度は 昭和33年4月から施行された 売春防止法によって 無くなりました。  しかし、

宮尾さんも書かれているように「性は人間誕生の昔から未来永劫、絶えることのない需要であって・・・・・・」と!

性衝動は、それ自体、人間の正直な本能に基ずく欲望のひとつと考えます。  その手段と方法に、人間の金銭のからむ欲望が 入り込んだ時に 労働力がお金に換算されると同様に  少女たちの性が商品化されてしまいました。

理性と、欲望と・・・・。

江戸期女性の生きかた

遊郭は、江戸幕府の下、世界でも珍しい公娼制度として発足した。中略

遊里は男の代表的な娯楽の場であり、性教育の場でもあった。遊女たちは太夫以下の階級にわかれ、里言葉や衣装、調度など、独特の文化を築き上げていった。名高い遊女の中には、武家の婦女も及ばないほどの教育を身に付けたものもあった。中略

しかし、「苦界に身を沈める」といういい方が廓勤めを意味するように、貧しさゆえに遊女となった女たちには、いかに美妓として盛名をうたわれ、どのように華美を競ったとしても、しょせん身を売るものの哀れがつこまとっているのである。

昭和52年発刊の「人物日本の女性史」の中の 「江戸期の女性の生きかた」宮尾登美子さんが書かれた文です。

その中に、   女性の売春について語るのは、大変難しいとしながらも・・・・

ただ、いえることは、金銭は別としても、性は人間誕生の昔から未来永劫、絶えることのない需要であって、そのためにおきる人身売買や風俗の乱れには代々の為政者たちもかなり頭を悩ませたらしい。古くは天武天皇の頃、既に子を売ることの禁止令が出されているから、いわゆる奴婢が性の提供者でも会った労使、歴史を下るにしたがって白拍子が今の芸者の役割を果たしていたり、また遊女の里というものも物の本には至るところに顔を出してくる。

と、書いています。

4月5日

4月5日、総会前の準備をします。どうぞ・・・・おいでください!

場所・・花月 時間・・昼前あたりから・・・夕方すぎまで・・・

ギックリ腰

ギックリ腰をやってしもうた!ショックです!

でも、樽一杯の漬物をもらっちゃったもんね! これは、良かった!

では、簡単ですが、今日は、おやすみなさい・・・・。

テレビ取材

きょうは、KABの方と、島原の口の津まで行きました。 口之津民族資料館に「からゆきさん」の資料があります。しばらくぶりでしたが、勉強になりました!

もっと「からゆきさん」のことを丁寧に知ろうと思います。 皆さんもご一緒に・・・・。

またもや、突破で~す!

またもや、突破で~す!ホームページを見てくださった方の、カウントが  6,000回を突破しましたよ~! ジャンジャ ジャ~ン!

益々・・・ガンバろ・・・・です!インドの写真!出来ました。アルバムにしちゃいました。

突破で~す!

ジャンジャジャ~ン・・・・会員数が60名を突破しました。  きょう3名も入会してくださったのです。  ああ、続けていて良かった。良かった!

インドの写真も手元にあります。インド、また子ども達に会いたくなってしまいました。

ほっと!一息

ほっと、一息しています。  インド日本人墓地100周年の冊子に書く原稿は書いたし・・・。めだかの水は換えてあげたし・・・・。猫は元気だし・・・・。

・・・そういうことではなくて・・・イエイエ、そういうことでもあるのだけれど・・・

今、ほっと一息しているのは、・・・・インドとシンガポールでお世話になった方に、何かお礼を・・・と、ずっと考えていて・・・やっとできたのです。 

 切り絵にしました。 

 八部通り完成かな?あとは、・・・・・ちょこっとして・・・・。   台紙に貼れば出来上がり  ルンルン  仕事などを休んで通訳など手伝っていただのです。ただ、お礼を受け取ってくださらなくて・・・・。   ルンルン・ルン。      きれいに出来たので、嬉しくって・・・・。  それと、新聞の連載分がたくさんあります。それも一緒に送りましょう・・・・。

インド日本人墓地

インド、ムンバイにある 日本人墓地が 昨年100年を迎えました。

今年、冊子が出るということです。ささやかな、寄稿の文を書かせていただきました。  いつかお目にとまると嬉しいな~と思います~!

鬼のかく乱

風邪かな?  ちょっとだけ、のどが痛いかな・・・・

25日の夕刊で、「きょうの発言」終了しました。  支えてくださった方、読んでくださった方々・・・ありがとうございました。

 「からゆきさん」の足跡をたどって訪れた場所は、アメリカ、中国、シンガポール、インド、モーリシャス、マダガスカル、南アフリカ、そしてサンダカン(マレーシア)ザンジバル島(タンザニア)などです。
父が遺言とした「自分の目で見て、自分の足で歩け」の言葉をいつも心に刻んではいますが、女性史も日本史もまだまだ勉強し足りません。
その多くは、悲しい色彩を帯びていると感じます。売春婦の汚名を着せられたままの「からゆきさん」も名誉復活には至っていません。
そして、「からゆきさん」を知る中で出会ったインドの少女たち。
今なお世界各国で続く人身売買や売買春の問題も解決には程遠いのが現状です。
インドでの活動を支援してくれている友人からメールが来ました。「小学生の時に、『ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために』という標語が教室に掲げられていました。自治・自立とは、そういうことだと思います。「援助」だけでなく、「共感」と「支え」のあるあなた方の活動に感謝します」と。
 NPO法人「インドに幼稚園を作る会」の活動も、始めてから9年目になります。活動を通して、友人も知人も増えました。すべての人との触れ合いをありがたいと思います。皆さんのおかげで、インドの子ども達とつながり続けられることに本当に感謝します。

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