平和であれば、すこしのおしゃれ

涼を求めて、金魚を買おうと思い立った。
スーパーに行き、水草やエアーと共に金魚を選んだ。            レジを待つ私の後ろに、両手に一つずつもんぺを持った高齢のご婦人がこられた。  ひとつは白地に紺の絣模様、もう一つには赤い模様が入っていた。目線が合ったわたしに「どっちがよかかな」と尋ねられた。「赤がいいと思いますよ」と答えると 「私もこっちがよかと思うとばってん」  「では、赤い模様で」と、レジの人が金額を打ち込んだ。ずいぶんと迷い、ほんの少し赤い模様の入った「もんぺ」を買ったこのご婦人を私は可愛いと思う。
 街はカラフルなファッションに身を包んだ若者で溢れている。欲しいものが好きなように買える今の時代。  このご婦人が彼等と同じ年代の時を想像する。「欲しがりません。勝つまでは」のスローガンがあった。お洒落をしたいと思っても出来ない時代だった。
 スーパーを出るご婦人の後姿があった。 嬉しそうに帰る麦藁帽子をかぶったその姿に、赤い模様の入った「もんぺ」をはき、野良仕事に精を出す姿が目に浮かぶ。お元気で、と祈る。  ほのぼのとさわやかな気分になった。金魚も涼しげに我が家の玄関先で泳いでいる。

朝日新聞8月7日の朝刊に載りました。  しばらくの間、広島長崎を通して日本は、平和への祈りで満たされます。

スラムの子に教育の機会を

14日の朝刊に「比で1000万円払い腎移植」の記事があった。

一方は貧困から逃れるために。一方は体調を改善し命長らえるために。移植支援などをうたう業者は「必要性のあるビジネス」と言い切った。日本には臓器売買やあっせんを禁止する法律があるが、「フィリピンは臓器売買を合法化する制度を検討中」と記事にある。悲しいと思う。不条理と思う。

199912月、ある新聞の「アジアと人権」のシリーズに日本人に腎臓を売ったフィリピン人が出ている。彼は言う「残ったのは腹部の30センチの傷跡と借金。オレの腎臓で元気になった日本人に援助を求めたい」と。

フィリピンで臓器売買が合法化になると、はびこる貧困の中で、手っ取り早く金を手にする方法として、各途上国でも臓器売買目的の人身売買が増長されはしまいかと心配になる。私が幼稚園を作る活動をしているインド、ムンバイのスラム街でも人身売買が横行している。

売りたい人、買いたい人、双方の社会を変えるにはまだ時間がかかるだろうか。人権が確立していない社会は悲しいと思うが、貧困の解消には教育がある。子ども達が臓器売買目的の人身売買の標的にならないためにも、スラム街の子ども達に教育の機会を与え続けたいと思った。

 

投稿文が 熊日新聞7月26日の朝刊に載りました。

可愛い人と思われて。

スーパーのレジでのこと。70代と思われるご婦人が、両手に一つずつハンガーにかかった「もんぺ」を持ってきて、わたしの後ろに並ばれました。           レジの人に「どっちが、よかかな?」と訊ねています。 一つは、白い絣の模様が入っていて、もう片方には、赤い模様が入っていました。  レジの人はしばらく考えて、「シンプルな絣模様がいい」と答えました。  当のご婦人は、今度はわたしに「どっちがよかかな?」と聞きました。  わたしは「赤い模様が入っているのが好い」と答えました。 「わたしもこっちがよかと思うとばってん」・・・。    レジの人の機転で、「2対1だから」と、赤い模様の付いた「もんぺ」をご婦人は買って帰られました。

その年代の方の10代、20代、一番お洒落をしたい年代で「欲しがりません勝までは」のスローガンの下、赤い色を着るのをためらわれたのではないか,とわたしの勝手な想像ですが・・・、赤い模様の付いた「もんぺ」を胸に抱き、嬉しそうに帰られる後姿に、その後婦人のかわいらしさが伺えて ほのぼのとした気分になりました。

わたしはスーパーに「もんぺ」が売ってある事に驚きました。「もんぺ」を知らない人も多いでしょうね!ご婦人が「もんぺ」をはき、お元気で、野良仕事に精を出し、鍬を振るっておられる姿が目に見えるようです。

子ども達の医療費アップを

大型台風4号が接近しています。テレビ等で盛んに情報を流していますが、お住まいの地域への影響はどうですか?天草は、熊本第一の漁港牛深を抱えています。牛深の船だまりの映像が映し出され、朝、8時現在、風が強くなっているようです。台風には、恵みの雨だけおいて去ってほしい といつも思います。・・・・皆さん、備えを十分に・・、私も、雨、風に対する備えを十分にしたいと思います。

 さて、前回の投稿で「次のステップとして・・・」と書き、何が出来るか悩んでいましたが、幼稚園の充実を図る事に重点を置く事に決めたいと思います。     幼稚園の生徒が31人になったとの報告を受けましたので、先生の数を1名増やして2名にする。(一人年間 90,000ルピー)  インド物価高騰の折、子ども達の食費の金額を2倍(年間90,000ルピー)  子ども達の健康面で、薬や病院にかかる費用を今までの3倍(15,000ルピー)  子ども達の中にはエイズにかかっている子もいます。皮膚に出来物がある子もいます。エイズにかかったとわかれば、母子とも病院の廊下に捨て置かれる事もあると聞きました。NGO「インドに幼稚園を作る会」の年間の送金は、年間日本円25万円です。ルピーにすると、今年度は81,250ルピーでした。

インドNGO「アップネ・アップ」副代表マンジュさんに聞きました。20,000~25,000ルピーで、売買される少女達です。そして、ムンバイの売春街で働かされています。


次のステップとして、何が出来るでしょうか?

次のステップとして、何が出来るでしょうか?

インド、ムンバイの売春街で暮らす子ども達。彼等が望めば、NGO「インドに幼稚園を作る会」が運営する幼稚園に来て、お昼ご飯を食べる事が出来ます。たとえ、それがわずかな量であっても、彼等にとって一日一食であっても、それは、可能です。幼稚園に来る事は 幼稚園のスタッフ達と 思いっきり笑って思いっきり甘えて手足を伸ばして昼寝をすることが出来ます。けれど、一歩、通りに戻ればムンバイの喧騒の中、無表情の何かを達観したかのようなうつろな目を向けてきます。7歳の少女です。いつも3歳の弟を抱いていました。お母さんと一緒に田舎から出てきたのだけれど、読み書きが出来ないし、学校に行く年齢だけどしばらく姉弟共に世話をしようと、現地(ムンバイのNGO アップネ・アップが決めたのでした。私に何が出来るでしょうか?    お母さんが亡くなって、稼ぎがないために売られる女の子がいます。4歳でした。「売らないで!」と言いたいけれど、父親が決めた事です。私に言う権利はありません。インドは今、猛烈な勢いで発展しています。今年2月に行った時は、空港の到着ロビーのセメント打ちっぱなしの床がきれいになっていました。目に見えてインド・ムンバイ郊外も美しくなっています。けれど、私が行く度、幼稚園の子ども達の様子は悪くなり、家庭環境は劣悪になる。・・・

あっという間の七年です。ずっと関わってきて、今からも関わり続ける事に気持ちは揺らぎません。が、年間25万の運営費送金以外、次のステップとして私に何が出来るのか、否、みんなで何が出来るのか、模索しています。教えてください。

会の広報誌、発行です

蒸し暑く、すっきりしないお天気が続いています。皆さん、お元気でお過ごしでしょうか?

先日会員になって下さった方から「会の広報誌があると、いいね」とご指摘を頂きました。「ああ、なるほど!」と「広報誌があると、インドの子ども達のこともわかってもらいやすいし、会員のみなさんにも、私の思いを共有してもらえますし・・」と早速・・・・書きました。

会員の皆さんに送りたいと思います。送る事に もし、不都合が生じます場合は、お手数ですが、ご連絡くださいね。

あっ!大久保さんだ!

我が家の玄関先に 7、8人の学校帰りの子ども達がいました。何をしているのか?と出てみると、「あっ!おおくぼさんだ!」と言って寄ってきました。    6月28日の事です。「わぁ、覚えていてくれたのね!」と言うと「インドに行きよるとやろ」「子ども達と一緒におるとやろ」といっせいに声をあげてくれました。小学校2,3年生と思われました。感激です。6月26日の私の話を よく聞いてくれていたんだ、と本当に嬉しかったです。皆に ありがとうと・・・・伝えたい。

懸命に生きる子ども達

6月26日、地元の小学校で子ども達に「命がけで生きるインドのこども達」についてお話しをしました。  熊日新聞、朝日新聞の6月27日に載っています。一年生にわかってもらえるように、言葉を選び、写真や地図を多く使い説明をしました。わかってもらえたかどうか?質問を交えながら丁寧のに心を込めて話しましたが、支離滅裂になったのでは?と反省しています。

幼稚園で出す 昼ごはん一食分はいくらでしょう?                答えは500円ですが、  「1万円!」と答えてくれたり、             うんちをした後 何で拭くでしょう?には 「葉っぱ!」と声をあげてくれたりと、子ども達なりに答えて、一生懸命、聞いてくれました。            また、いつか話す機会があったらいいな と思います。 聞いてくれてありがとう! そして、この機会をあたえてくださった 小学校の先生がたに 深く感謝申し上げます。

ありがとうございました。          

            

子ども達へ、インドの話しをします。

6月、26日(火)子ども達主催の「命をみつめる集会」で、インドの子ども達の話をします。小学生ですが、同世代の子ども達がインド、スラム街で置かれている状況を  どのように話そうか 今、思案しています。

売られてきた子ども達がいます。エイズにかかっている母親から生まれる子どもがいます。同情をかうために親に傷つけられ、物乞いを強要されるこどもがいます。  それでも、子ども達の夢は「働いてお母さんを助ける事」です。

25分~30分間です。子ども達の写真を見せながら、私も頭の中を整理したいと思います。天草市立本渡北小学校 朝10時10分~35分まで。

こだま欄、6月17日の父の日に

西日本新聞の「こだま」に投稿した文章が載りました。

丸い缶入りのたばこを見かけ、父が吸っていたのを思い出した。  冊子「私の雑記帳から 天草歴史年表」は父が書いたものだ。「中学校版天草読本の編集をする中で、資料として集めたものが手元にありましたので、ガリ版にでもしてみようかと思い・・」とある。      文字通りガリ版刷り、手書きで、天草の歴史をつづっている。 セピア色に染まり読みづらい箇所もあるが、天草の事が丁寧に書かれていて、天草への愛情がうかがえる。     今でも「天草の歴史を調べる時、この本がとても参考になる」と話す郷土史家がおられることが嬉しい。    おてんばだった私に「こら!勉強せんか」とは父の口癖だった。遊び呆けて頭にげんこつをもらった事も多い。    もう一度、あのころの大きな父の愛に包まれたいと思うが、すでに父はいない。せめて、私の本棚に移った父の蔵書の前に缶入りの煙草と好きだった青色の花を飾ろう。

父が逝って12年になりますが、未だに 父の死を受け入れられずにいます。         西日本新聞の「父の日」のテーマ特集「こだま」欄に投稿されたどの方の文章を読んでも、涙が溢れます。

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