片付け

片付けられない女ではないはずなのです。・・・・でも、片付きませんね~!まだ、この分だとまだまだ・・・、

「からゆきさん」関係の本! 本棚にはいりきらん~! 読み聞かせの本! 英会話の本! 切り絵の本! それから、お琴の道具!  ・・・・することが多いのか? 英会話は身になってないし・・・・ お琴は練習して行かないし・・・。  切り絵はすることが多いし・・・・。何から手を付けよ~~~!   まずは、優先順位・・・・   インドに幼稚園を作る会の整理・・・・会計・・・・総会に向けて・・・インド関係の書類等も、整理せねば・・・・。

ん~、まずは家業の民宿の、お仕事をがんばらねば・・・・・。

あああ!どっこいしょ

ブログが戻って・・・。

ブログが戻って勇気100倍!  でも、何から手をつけようかな~!

ハノイに出展する作品は、もう既に郵送済みです。けれど、11月の中国に出展する作品が決まりません。  今までの作品から選んでも良いらしいが・・・そうは、したくないのです・・・・。すこし考えよう・・・・。

きょうは、ず~と、部屋の後片付けをしていたのです。片付かないことこの上なし・・・・。おまけに、まめちび猫が、めだかの水槽に入って 泳いどる。 平衡感覚がないのだ。イエイエ単なる 間が抜けて・・・。イエイエ・・・?

大騒ぎとなりました。片付けるのに、全て引っ張り出していたところに、水浸しの猫がぶるぶる、ぶるる・・・・。一面水浸しではないか・・・。明日までかかって、片付けます。    トホホホのホ

新たな支援

新聞に連載が始まって、嬉しいことに 支援を・・・と仰ってくださった方がいらっしゃいます。25日熊本でお会いします。インドの子ども達と共に、ありがとうと・・・つたえたい!

ありがとうございます。宜しくお願いします。

天草からつなぐ明日

天草からつなぐ明日「宿命」背負い生きる
 夕暮れまでまだ時間があるというのに、女たちは通りで客待ちを始めていた。その前を子ども達が追い駆けっこしながら走り抜けていく。近くでは用心棒とおぼしき数人の男たちが、赤茶色の紙タバコのかすを路上に吐き出し、通りに目を走らせる。その合間を縫って、ある建物に入った。

 中央が極端にすり減った石造りの急な階段を上る。太陽の光が入らない真っ黒な建物は、ウナギの寝床のように奥が長い。廊下の脇に八つのベットが詰め込まれた10畳ほどの部屋があった。
 母親が客を連れ帰ると、その幼子たちは、高さ90センチほどのベットの下に潜り込むという。その上で母親が「仕事」を終えるまで。

 約1300万人が暮らすムンバイ(旧ボンベイ)。インド隋一の商業都市で、売春人口は100万人ともいわれる。カマティプラ地区の長さ1キロほどのフォークランド通りには、千軒の売春宿がひしめく。売春婦は約5000人。地元の人によると、英国統治時代の19世紀から続く古い売春街らしい。
 売春婦の自立を支援する現地NGO(非政府組織)代表、スダールシャン・ロヤルカさん(61)によると、彼女達の多くはネパールや国内の貧しい農村部な度から「いい仕事がある」などとだまされて連れてこられる。誘拐されたり、親に売られることも。そして「仕事」に慣れるまでは、奥の部屋に監禁されるという。

 「肌色が薄い美人は5万ルピー(約10万円)、色黒の女はその5~10分の1程度で売買される。14歳、15歳が特に高い」とロヤルカさん。「9歳の売春婦もいる」とも。日本なら小学、4年生だ。
 女たちは1回40~250ルピー(80円~500円)で体を売る。売春宿の主人は、費用を回収するまで一切、給金を払わない。「借金」を完済しても売上げの半分は主人のものだという。

 彼女たちは売春宿で子を産み、育てる。ただ、ここの稼ぎではこどもを学校に行かせる余裕はない。「ここで育った女は売春婦、男は麻薬の売人や宿の用心棒になるだけ。金にまみれた警察は売春宿の味方。少女たちを救おうともしない」とロヤルカさんは静かに語る。
 そんなフォークランド通り近くに、天草市のNPO法人が2004年6月、幼稚園を作った。理事長の大久保美喜子さん(55)は「この状況を見て見ぬふりできなかったの」。日が落ち、オレンジ色の怪しい光に照らされた通りに、相変わらず子どもたちのにぎやかな声が響いていた。

熊日、原さんの記事を写したものです!

きょうの発言

「あんた、自分が売春婦って言われたらどーげん気持ちや」 「からゆきさん」の真実が知りたいと思い、歩き始めたばかりのころ。
天草の小さな集落を訪ねると、玄関で仁王立ちになった近親者の方から、そう言われました。私が「からゆきさん」のことを知りたがっているとわかると「好かん、好かん」と、刺すような視線を投げつけ、張り詰めた空気になったこともあります。 その一方で、90歳は過ぎておられたおじいさんから、こんな話も聞きました。

「夜、満天の星の下、潮騒を枕に子守唄がわりに聞かされた、わしのじいさんの話は海の向こうの話だった」 「この海の向こうにどのような人がいて、自分がどんな活躍をしたか・・・。多少の背びれ尾びれは付いたかも試練が、面白い話だった。そのまたじいさんもそがんだった。そのまたじいさんも・・・

「からゆきさん」を恥として隠そうとする心理も、海外雄飛の血が代々流れ、こから孫へと受け継がれていたという事実も、すべて「からゆきさん」を取り巻く天草の真実だと。女衒と呼ばれた村岡伊平冶さんのお孫さんに会いました。彼にも既にお孫さんがおられました。

時は静かに、けれど確実に、大きな歴史のうねりをのみ込みつつ、流れていると知りました。時は静かに、けれど確実に、大きな歴史のうねりをのみ込みつつ、流れていると知りました。

3月18日の夕刊です

ハノイの日本人墓地

フランス、パリでの「ル・サロン展」入選のながれで、ベトナム、ハノイと カンボジアのシェムリアップ へ行きます。確か「からゆきさん」の足跡があった・・・と思い、訊ねました。・・・・・
ええと、ハノイの墓地、残念ながら分かりません。戦前の資料にはよく出てきますが、戦後は社会主義国で日本とは長くお付き合いがなかったため、その後は分かりません。
ホテルハノイ、僕もそこに泊りました。水人形がお勧め。べトナム戦争の時のベトコンのトンネルも感動的。フォーの食べ比べを。
シェムリアップは僕が行ったころはまだ内戦があって、鉄砲の音が遠くで響いてました。湖の水上の家は見もの。アンコールワットもですが、アンコールトムとかほかの寺院のほうが雰囲気はあります。     と返ってきました。

何でも知っている人って、いらっしゃるんだな~・・・・私も勉強しよ~・・・と、反省・・・・。何だか、いつも反省中・・・。

切り絵の先生

切り絵の先生になりました。 5月から始まる講座を担当します。      一人でも多くの人に切り絵のよさをわかってもらえるように、頑張ります。ルンルン ルン!  私も勉強しましょ・・・。

インド、ムンバイの日本人墓地設立100年にあたって、日本人会の方が、冊子を作られます。そこに、少し書かせていただけます。・・・・「からゆきさん」のこと・・・・。  これも、頑張ってみます。

報告会

13名の参加者での報告会でした。  インドの様子、子ども達のこと・・・など わたしも振り返りながら・・・・でも、同行された、原さんが、やっぱり記者の目で、とらえておられるので すご~い!と思いました。       数字が何より正確ですし・・・。

「よ~く、わかりました」の声しきり・・・。今までの活動期間、5年間での卒園児136名 現在の児童数26名

あの通りの・・・2歳~8歳までの子どもの数 800人     基本的な生活習慣を身に付けさせ、清潔に保ち面倒を見るのは25~6人、30人までが限度・・・・。一人の先生、一人のアシスタント。おやつ、お昼ごはん。可愛い子ども達。  

子どもは、生まれた環境を選べず、母親を選ばず、自らの国を選ぶことが出来ずに暮らすのですね!    インド・ムンバイの売春婦の数100万人  「9歳の子どもが化粧して通りに立つことがある」

ああ・・・人として、私たちは  何をしたら、何をすれば・・・いいでしょう!  人の欲に絡められた幼い子ども達のことを思います。

20年度の総会を、熊本の熊本国際交流会館で、写真展と同時に行いたいと思いますが、いかがでしょうか?

報告会

明日、午後5時半から、花月にて、 インドの報告会をします。

まだ、インドの興奮!冷めやらず・・・・・。

楽しみに、お待ちします。

Posts navigation

1 2 3 107 108 109 110 111 112 113 138 139 140
Scroll to top